ヘルマン・ヘッセ - Wikipedia
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ヘルマン・ヘッセ
Hermann Karl Hesse- 国籍 : ドイツ、スイス
- 性別 : 男性
- 誕生 : 1877年
- 肩書 : 作家
- 職業 : #作家
ヘルマン・カール・ヘッセは、ドイツ生まれのスイスの作家。主に詩と小説によって知られる20世紀前半のドイツ文学を代表する文学者である。南ドイツの風物のなかで、穏やかな人間の生き方を描いた作品が多い。また、ヘッセは、風景や蝶々などの水彩画もよくしたため、自身の絵を添えた詩文集も刊行している。1919年の「デミアン」執筆前後から作風は一変する。この頃、第一次大戦の影響などもあり、ヘッセは深い精神的危機を経験する。ティチーノ州のモンタニョーラという小さな村に落ち着き、カール・グスタフ・ユングの弟子たちの助けを借りながら、精神の回復を遂げる。そのなかで、ヘッセの深い精神世界を描いた作品が、「デミアン」である。それ以降の作品には、現代文明への強烈な批判と洞察、精神的な問題点などが多く描かれており、ヘッセをドイツ文学を代表する作家に押し上げた。平和主義を唱えていたヘッセの作品は、ナチス政権から「時代に好ましくない」というレッテルを貼られて、ドイツ国内で紙の割り当てを禁止された。1946年に「ガラス玉演戯」などの作品が評価され、ノーベル文学賞を受賞した。
父であるカール・オットー・ヨハネス・ヘッセは、英語で書かれた内村鑑三の著書「代表的日本人」(英名:Representative men of Japan)を1908年に初めてドイツ語訳した人物として知られている。